意味のない「若者の○○離れ」
「若者の○○離れ」という言い方は非生産的だからすぐに辞めた方が良い。こういう言葉使いをしていて得られる効用は、斜陽産業が儲からないことを他人のせいにして、心情的に癒されるというくらいのものである。誰の腹も膨れない。
そもそも若者は離れていない
そもそもこの言葉使いをする人間は、超近視眼的な発想に囚われていることに気づくべきだ。例えば「若者の車離れ」などと言っても、自動車なんてものが一般的に普及したのはせいぜい数十年の歴史しかないのだから、よく考えれば若者はずっと車離れだった。むしろちょっと前の一時代が「若者の車近づき」だったのだ。
若者の側からも、「俺らは一回も○○に近づいたことなんてないぜ」という反論がすぐに出てくる。最初っから近づいてもいないものからは、離れることもできない。ある一世代の価値観を自明と看做すから、こんな変なことになってしまう。
「若者の○○離れ」が使えるケース
「若者の○○離れ」という言葉使いが妥当性を持つためには、少なくとも数百年の歴史を経た人類の営みを対象としなければならないはずだ。例えば日本の人口は、長い間横ばいか上昇傾向にあったのに、現在の出生率は2を割っている。これは「若者の出産離れ」と言って妥当なケースだろう。
おおよその時代において出生率は2以上であったはずなのに、現代の出生率はそれを割っているということになれば、現代特有の要因があるかも知れないということになる。
特殊なのは「近づいた」世代
しかし、少し前の一時期の若者が車に食いついたからって、その他の時代の若者はそうじゃなかったのだから、現代の若者が車に近づかないのは、むしろ普通と言えるのだ。それよりも、車に近づいた一時期の若者を特殊と看做し、彼らがなぜ車を欲したのかを探る方がよっぽど有意義だと言える。
そのことをはっきりとさせるために、この言葉使いの実例を列挙してみよう。
どの「○○離れ」もここ数十年、せいぜい百年くらいの文化だということがすぐに分かる。米飯や畳や味噌や平仮名のように、長い歴史の審判を経て残ってきたと言えるものは一つもない。
「若者」という普遍的に通用する世代観を持ち込むならば、離れられる対象もせいぜい数百年単位で普遍性も持つ文化じゃなければいけないはずなのに。
どうしても「○○離れ」を使いたいなら
もしどうしても「○○離れ」という言葉使いをしたいのであれば、「若者の」という部分を、もっと個別具体的な主体に取り替えなければ、実態に沿った視点は得られない。例えば「ゆとり世代のクルマ離れ」、「ロスジェネの恋愛離れ」という具合にだ。
ゆとり世代のクルマ離れなら車がステータスシンボルとしての機能を失ったから、ロスジェネの恋愛離れなら、正規職を得られないことで自信喪失やデート資金不足に陥った、という具合に問題の分析に役立つ視点が得られる(この分析が正しいと言ってるんじゃないよ。飽くまで例えね)。
「若者の」と言っていたら、今までの若者はそんなことはなかったのに、現在の若者だけは変だ、という誤解を生む。しかし、世代ごとを個別具体的に指定した言葉使いなら、「○○離れ」の原因が実態的に見えてくるだろう。
実態を見つめることこそが肝要なのである。急激な変化の中で認知的不協和を起こしてしまう気持ちは分からなくもないが、「若者の○○離れ」なんてモノの見方をしている限り、現実逃避癖は抜けないだろう。

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